大学生の落書き帳

とある地方国公立大学に通う女子大生のブログです。思うままにいろいろ書きます。

風がふく

前回のはてなブログで話し相手がほしいという内容を書いてた、その当日に急遽研究室のメンバーで飲みに行った。

私はお酒が好きなわけでは無いけれど、飲み会の場でいろんな人のいろんな話が聞けるのは嬉しい。

口に出して話し相手がほしいと言った訳ではないけれど、ブログで書いた後に実現したのがなんだか嬉しい。書いたら叶う、とかに近い感覚。偶然だけど。

 

その次の日にはバイト先にいる中国人の子からLINE交換を頼まれた。

本当に不思議。LINE上だけかもしれないけど本当に「友達」が増えたのだから不思議。

これからもやりたいことはブログに残していこう。書いたら叶うかもしれない、位の気持ちでいたい。風の吹き回し、ってどういう意味だっけ。こういうときに使えるんだっけ。

 

最近ずっとおなかの調子が悪いし、頭痛も続いていて、どうしてだろうと思っていたけど、これは多分花粉のせいだ。薬を飲まなきゃと思いつつ、まだ飲んでいない。でも本当に調子が悪すぎるので、さすがに飲まなきゃなあと思う。せめて頭痛をなんとかしてほしい。

調子悪い日に限ってバイトがある。自業自得だけど。休みがほしい。動けなくならない程度に生き抜いていきたい。

 

今日はとても風が強い。まだ春一番ではないのかな。

花粉は嫌いだけど、春は来てほしい。強い風も嫌いだけど、春の空気は好き。

自転車倒れてないと良いな。

 

友人募集

ひとり暮らしをしていると、実家の賑やかさが懐かしく、羨ましく感じる。

 

私は静かな空間があまり得意ではないので、ひとりで静かな時間が続いてしまうと心がしぼんでしまう感じがする。

だから定期的に出かけて、人混みに紛れる。駅ビルとかを当てもなく彷徨う。

昨日も体調があまり良くない、かつ、雨がひどく降っているのにもかかわらず、夜に出かけて豆腐を買った。

 

毎日研究室に行くのも、誰かしらの話し相手を見つけるためかもしれない。バイトに行くのも誰かと会話するためかもしれない。

 

大学生後半になると、新しい人との出会いが少ないなあと感じる。

私は常に新しい人と出会っていたいと最近気がついた。インターンシップで久しぶりに初対面の人と出会うのがとても楽しかった。

 

SNSつながりで友人を作れる人が羨ましいと思ってしまった。

このブログでもいいから、誰か友達を作るツールになってほしいなあとか。

 

でも、私はマメな人間では無いために、SNSつながりの人と親密になるのは難しいだろうなとも思う。

なんて自己中なんだろう。

 

誰かわたしと友達になってください。

 

 

迷える幸せ

4月から、就職希望先の出願が始まる。

つまり、今のうちに出願先は決めて、そのために対策していかなければいけない。

 

私のなかで第一希望は決まっていて、そこに迷いは無い。

問題は第二希望として出すところ。二か所で迷っている。

 

どちらも業務内容はほぼ変わらない。

ただ、実家からの距離と給料、転勤で引っ越しが必要かどうかの違いがある。

 

その内の一か所に、今週2日間実習に行かせてもらった。

想像通りだったし、就職先として、全然行きたいなあとは思う。

だけど、もう一か所もとても良いなあと思うし、行きたくない理由は無い。

 

どちらも絶対に行きたいという強い印象も無ければ、行きたくないというデメリットも無い。

 

ただどちらも受験日が同日のため、併願ができない。

どうしようかと実習中も、実習から帰ってきても、ずっと考えている。

 

でもこんな風に迷えるのは幸せだと思う。本当に売り手市場なんだなあと。

まあ私の場合は国家資格が必要だからという理由もあるのかもしれないけれど、どこでも受かったところに行くしか無い、という状況では無いのはとても幸せだ。

 

それに第2志望にまようくらいなら、第一志望に全力を尽くすべきとも思う。

でも第一志望に落ちたときでも、納得して仕事したいと思ってしまうので第2志望も大事に考えたい。

 

普段、自分の中である程度答えが出ている状態で迷うことが多く、相談したとしても自分の中の答えへの意見を求めるレベルである。

ただ今回は本当に2つで迷っている。自分の中で優劣がつかない。

親に相談したいと思うのだが、この3月とても忙しく、実家に行く時間を用意するのが難しい。

母とは定期的に電話しているし、相談も聞いてくれるとは思うが、今回は父にも聞いてみたい。どうしよう。

プレゼンできそうなくらい迷うのは初めてだ。

 

無理矢理実家に帰るか、父に電話してみるか。でも父と電話で相談したことが殆ど無い。休学することを泣きながら(焦って)相談したときくらいじゃ無かろうか。

 

こういうとき、身近にもっと親しい知り合いがいたら良いのになあと思う。

 

自分の中の答えが出るのが先か、両親に話すのが先か。

 

おひなさま

 

気付いたら3月だった。

のんびりしてたらきっと今年もあっという間に終わってしまうから、油断しないように生きていきたい。

 

先日、母と角川武蔵野ミュージアムに行ってきた。

本好きの母としゃべれる図書館に行くのはやっぱり楽しい。

あと、前もって約束して予定立ててお出かけするのは、突発的に出かけるよりも特別感がある。

母ともっといろんな所へ出かけたいから、今年の就活頑張って気持ちよく終わらせたいと強く思った。

おばあちゃんとも元気なうちにお出かけしたい。

そのためには私が頑張れば良い。

 

実家には立派なおひなさまがある。

確か3段、ちゃんと5人囃子がいた気がする。

3人姉妹で当たり前のようにおひなさまが飾られていた十数年前を思い出す。

大学に出て、いろんな人と出会って、それが当たり前で無いことを知った。

 

大切に育ててくれた親に、強くなった私を見せたい。

 

箱入り娘ではなく、世の中にもまれても流されないような。なんなら人を助けられるような。

 

今年の桜餅は感謝しながら食べようと思う。

 

思ったよりも近い

今週のお題「大移動」

 

お題に合っているのか怪しいですが、最近歩いた話をしたいと思います。

 

私は代々木駅周辺の飲食店にランチに行き、おなかいっぱいだったので、帰りの京王線に乗るために新宿駅まで歩こうと思いました。

JRでは一駅。まあ歩けるだろうとは思っていましたが、予想よりもずっと近くてびっくりしました。

代々木駅から新宿駅らしき建物が見えたので、それに向かって歩き、踏切が下りていたので横の階段を上がってみると、いつも使っているバスタ新宿の方に直結していました。

東京都内は本当に一駅が近くて歩きやすい。なんなら電車に乗る方が面倒だと思います。

歩数計を見てみても一万歩は超えるけれども特別多いとは言えない歩数。歩きすぎにはならなそう。

 

東京で大移動だと思っている距離でも、田舎だとたいしたことないとかあり得るなあと改めて感じました。

とくに以前住んでいた岩手は隣の市に行くのがすごい遠く感じられたことを思い出します。岩手に行くことも高校生の私が想像してるよりも遠くて、新幹線で時間を持て余していたなあ。

 

来月は盛岡にも仙台にも出かける用事があり、大移動の連続。その分、今月は都内へ出かけたことが1番の大移動でした。

距離は短くても普段出かけない所へ行ったという意味では大移動で間違いないかと思います。

 

今度の新幹線では何しようかな。

あと都内のお散歩したいなあ。

Googlemapの行ってみたいリスト

Googlemapでは場所の保存機能がある

それぞれリストにして地図上にピン止めする事ができる

私は行ってみたいリストを高校生の時から追加し続けている

追加しては再度チェックして、やっぱりいいやとか思ったら削除して、今は65か所が行ってみたいリストに入っている。

SNSやテレビで見つけて、行きたいとおもった飲食店や観光地が入っている。

それだけ沢山保存しているのに、全然行ったこと無いところが増えていく一方で、行ったことあるリストは全く更新されていない。

遠い場所なのかというとそうでは無く、東京都内なんて行こうと思えば行けると思う。ただ行っていない。

1日休みの日を使ってパン屋さん巡りでもすれば5か所くらいは更新できそうなのに、できていない。

行きたい気持ちはあるんだけど、憧れのままにしておきたい気持ちもあるかもしれない。純粋にそのリストを眺めているだけで幸せなのもある。

 

そんな私の行ってみたいリストだが、昨日一か所更新された。

行ってみたかったお店でランチをする事ができた。そしてやっぱり最高だった。

また行きたい。行けて良かった。

リストが更新されるのは例年1年で多くて5回くらい。一気に制覇するより、一か所一か所噛みしめるように楽しむのが良いかもしれないと思った。

一か所行けただけでこんなに満足できる自分で良かった。

大人になると初体験が減ると言うけれど、私はまだやりたいけどできていないことが山ほどある。

これからも新鮮な体験を重ねていけると思うと幸せしか無い。

自分軸ってなんだ

自分らしく生きようとか

自立しようとか

 

そもそも自分がわからないことに気付いて失望してしまう。

 

もう成人して数年たって、親から離れて一人暮らしして、来年には就職する1人前の人間なはずなのに、まだ自立できてるとは到底思えない。

親に頼っているし、実家大好きだし。

一人暮らししていても人に頼ってしまう。

 

でも自立したいという気持ちばかりは育つ。

自立したいのも自分のためと言うより、親のためだと思う。

 

こんな立派な親なのに、こんな自分みたいな甘えてばかりの子どもでは、あんまりにも両親がかわいそうだと思う。

 

どんなに考えても自分がわからない。

強いて言うなら楽に生きたい。なのに見栄をはるから結局頑張らなくちゃ行けないところにいつもいる。

頑張れば褒めてもらえる。褒めてもらえるから頑張る。

結局周囲の評価で生きている。

 

自分が好きでも嫌いでも無い。

でももう少し人に頼らず生きなきゃと思う。

これもきっと誰かからの入れ知恵なんだろう。誰だろう。

 

実験がうまくいかない。人間関係もうまくいかない。

せめて勉強しよう。将来の無駄にはならないはず。

 

他人軸で生きる自分は認められないのだろうか。